2012年09月03日
障害者支援の在り方(インターン生 比護哲也)
こんにちは!
インターン生の比護です。
本日は、北名古屋市及び西春日井郡選出の安藤としき愛知県議会議員の事務所を訪問し、お話を伺う機会をいただきました。
その中で障害者支援に関する話が非常に印象に残りました。
安藤議員は
「視覚障害者の方のために作られた歩道の点字ブロックは、横断歩道の前まで導き直前で止まる場所を教えてくれる一方、なぜ肝心の横断歩道ではエスコートしていないのか。
交差点によっては音で知らせてくれる装置が設置されているところもあるが、国道のような大きな道路の横断歩道では不十分である。
勝手な部分で線引きをしてしまっていることはおかしいのではないか。
線引きという点でいえば、こうした補助設備に対する考え方も改めなければならない。
例えば、普段、駅のホームの危険な位置を確認する際、私たちも何げなく点字ブロックを使っている。
健常者といわれる方々でも、老若男女、人それぞれ千差万別であり、こうした設備を大いに利用している。
健常者と障害者という線引きをするのではなく、健常者も共に利用するという考えをしていくべきではないか。」
と話してくださいました。
私はこの話を聞くまで、横断歩道上に点字ブロックがあるかどうかについて全く考えたことがありませんでした。
いつの間にか“点字ブロックを設置する”という事業が
「障害者のために設置してあげている」という上から目線の、健常者の自己満足のためのものになってしまっていたのかもしれません。
確かに障害者の方に配慮はしなければいけませんが、安藤議員のおっしゃるような考えで、おかしな特別扱いをすることのないようにしなければいけない。
このことは障害者支援において決して簡単なことではありませんが、絶対に間違ってはいけないことであると思います。
このブログを書いている中、偶然、「五体不満足」で有名な乙武洋匡さんが出演されているニュース番組を見ました。
乙武さんは現在、ロンドンで行われているパラリンピックについて
「将来的にパラリンピックはなくなればいい。オリンピックと統合してやるようになればいい。」と発言されていました。
まさに”おかしな特別扱いをするべきではない”という話につながるなあと思いました。
乙武さんのおっしゃったパラリンピックがなくなり、オリンピックに健常者も障害者も共に出場することが当たり前というような社会が実現するよう、行政だけでなく、私たちもできることに取り組んでいかなければいけないと強く感じました。
インターン生の比護です。
本日は、北名古屋市及び西春日井郡選出の安藤としき愛知県議会議員の事務所を訪問し、お話を伺う機会をいただきました。
その中で障害者支援に関する話が非常に印象に残りました。
安藤議員は
「視覚障害者の方のために作られた歩道の点字ブロックは、横断歩道の前まで導き直前で止まる場所を教えてくれる一方、なぜ肝心の横断歩道ではエスコートしていないのか。
交差点によっては音で知らせてくれる装置が設置されているところもあるが、国道のような大きな道路の横断歩道では不十分である。
勝手な部分で線引きをしてしまっていることはおかしいのではないか。
線引きという点でいえば、こうした補助設備に対する考え方も改めなければならない。
例えば、普段、駅のホームの危険な位置を確認する際、私たちも何げなく点字ブロックを使っている。
健常者といわれる方々でも、老若男女、人それぞれ千差万別であり、こうした設備を大いに利用している。
健常者と障害者という線引きをするのではなく、健常者も共に利用するという考えをしていくべきではないか。」
と話してくださいました。
私はこの話を聞くまで、横断歩道上に点字ブロックがあるかどうかについて全く考えたことがありませんでした。
いつの間にか“点字ブロックを設置する”という事業が
「障害者のために設置してあげている」という上から目線の、健常者の自己満足のためのものになってしまっていたのかもしれません。
確かに障害者の方に配慮はしなければいけませんが、安藤議員のおっしゃるような考えで、おかしな特別扱いをすることのないようにしなければいけない。
このことは障害者支援において決して簡単なことではありませんが、絶対に間違ってはいけないことであると思います。
このブログを書いている中、偶然、「五体不満足」で有名な乙武洋匡さんが出演されているニュース番組を見ました。
乙武さんは現在、ロンドンで行われているパラリンピックについて
「将来的にパラリンピックはなくなればいい。オリンピックと統合してやるようになればいい。」と発言されていました。
まさに”おかしな特別扱いをするべきではない”という話につながるなあと思いました。
乙武さんのおっしゃったパラリンピックがなくなり、オリンピックに健常者も障害者も共に出場することが当たり前というような社会が実現するよう、行政だけでなく、私たちもできることに取り組んでいかなければいけないと強く感じました。